会計人コースWebに記事を寄稿しました!

プロフィール

ひろりんはどんな学生だったの?

おせんべいで有名な街、埼玉県草加市に生まれました。

通知表にはいつも「温厚でやさしい性格」と担任の先生に書かれるほど、自己主張の少ない、引っ込み思案な子供でした。

もーもー

そうなんだぁ、でも今のSNSの発信を見ていてもそんな感じするなー

小中学校の勉強に関してはあまり成績は良くなかったと思います。本当に平均的な成績でした。ただ、埼玉県には「硬筆展覧会」という独特な習慣?みたいなものがあって、小学校では毎年、お手本を見ながらの硬筆の課題があります。

その硬筆では毎年、金賞をもらい、クラス選抜にも選ばれました。クラス選抜に選ばれると、市の硬筆展覧会に出展されます。成績としては「優良」で、「佳作」の次に良い成績で表彰されました。

そっか、ひろりんは「字」がきれいだったんだね!

その反面、体を動かす「体育」が大嫌いで、そのせいか、小学校のころは肥満体型でもありました…

体育が嫌いだったのは運動神経がないこともありますが、「団体行動」が苦手なんですね。そしてボールが驚くほど取れない(扱えない)ので球技は本当に嫌いでした。

それが原因かわかりませんが、求人情報で「毎年、社員旅行あります!」みたいな文言を見ると、それだけで応募する気がなくなります。

社員旅行するなら、その予算をボーナスとしてほしいよね!

勉強に関しては中学生になると「英語」科目が追加され、これにまた苦戦します。特に「三単現のS」に苦しめられ、北辰テストという偏差値がはかられるテストでは、偏差値40を叩き出します。

志望する高校は偏差値60は必要だったので、これではダメだと思った記憶があります。そこから相当頑張って、なんとか科目全体の偏差値60までは持っていきましたが、かなりギリギリのラインだったので、確実に受かる公立高校を受験しました。

まあ、仮に高偏差値の高校に受かっても、勉強についていくのも大変だしね…

その高校に入学してからは、こんどは成績を思い切り上げたかったので、都内の大学受験予備校(英語と数学)にも通い始めました。おかげで、高校の授業は簡単に思えて、英語と数学のテストは常に90点超えでクラストップレベルでした。

このことで、大学では「数学科に行きたい!」と思うようになります。

しかし、猛者はたくさんいるもので、自分の数学力は未熟だということを思い知らされます。そこから方向転換。英語も好きになり、外国語に興味が湧いてきました。どうせやるなら、英語以外の言語。スペイン語やドイツ語を勉強したいと思い始めます。

スペイン語やドイツ語なんて、なんだか難しそうだね…

大学受験は現役では失敗し、浪人して、なんとか明治大学に合格することができました。専攻は「ドイツ文学」です。

入学してからは本当に毎日、ドイツ語、ドイツ語、ドイツ語、の日々でした。大学で学ぶ、第一外国語がドイツ語で、第二外国語が英語という状態でした。勉強は大変でしたが、楽しかったです。

ひろりんはどんな仕事をしてきたの?

大学3年の秋になり、本格的に就職活動をすることになりました。

今のようにインターネットはあまり普及していませんでした。当時は、分厚い資料が箱に入れて送られてきました。その資料に付いている「ハガキ」で企業に資料請求することになります。おそらく200~300枚は手書きでハガキを出したと思います。

わー…それは手が疲れちゃうね…

しかし、「文学部出身」ということで、そこで不合格になってしまうことも多々ありました。電話で問い合わせても「文学部出身は募集していないんです」という返答もあり、愕然とした記憶もあります。

おまけに就職活動に関しては「超氷河期」でしたので、合計60社は不合格だったと思います。最終的に内定がもらえたのは企業の内定式直前の9月でした。

企業は超氷河期に採用を絞っていたので、いまはこの年代の人材が不足してるんだよね。

海底ケーブルメーカー編

海外と関わる仕事がしたいと活動してきて、入社を決めたのは「海底ケーブル」を製造する会社でした。

海底ケーブルを作ってる会社なんて、すごく珍しいよね!

入社後は本社、栃木、大阪、福岡と数か月間の研修があり、その後、配属先が決定されました。希望は栃木でしたが、いきなり福岡に飛ばされました(笑)

いきなり遠隔地なんて、ぼくなら泣いちゃうな…

部署は生産管理の資材管理チーム。海底ケーブル製造に必要な資材(光ファイバや鉄線など)を管理する仕事です。入社当時は海底ケーブルの需要も高く、常にフル操業状態でした。資材担当としては、海外の資材メーカーからの納入もあったり、各材料の納期や数量管理に毎日ヒヤヒヤしていました。

また、入社当時は資材の発注など「紙の伝票」を書くことが多かったのですが、PCを介した「資材管理システム」を導入するプロジェクトが立ち上がり、わたしも参加することになりました。

システム導入には「現場での作業内容の棚卸し」が必要になります。ここは本社のシステム部門がわからない部分なので、詳細に調査をしました。

すべての作業をシステムに落とし込む必要はなく、現場の人間が楽になる方法を模索しました。また現場はPCに慣れていない人も多いので(というか、PC自体がほとんど活用されていなかった)、できるだけ入力項目が多くない、わかりやすい画面になるようにシステム部門に提案した記憶があります。

ぼくも難しいシステムは触りたくないよ。

システム導入には予算があります。改修するにしてもお金がかかります。とはいえ、現場に導入してみて「もっとこうしてもらいたい」ことは、やはり出てきてしまいます。このシステム部門と現場の要望の「妥協点」が難しかったですね。

その後も海底ケーブルの需要はうなぎ登りだったのですが、ここでITバブルが崩壊します。その影響で新工場建設のために調達していた資金が足かせとなり、結果的に会社は希望退職を実施することになりました。

わたしは幸いにも「残ってほしいリスト」には入っていたようですが(相当引き止められました…)、退職する道を選択しました。このときに退職したのは約半分の社員です。

半分の社員が辞めるなんて、本当に厳しかったんだね…

自動車部品メーカー編

退職後は転職活動をして、静岡にある外資系自動車部品メーカーに入社しました。

今度は静岡かー、「岡」つながりだね!

仕事は生産管理。最初は工場現場で作業研修でした。作業といっても、研修なのでサポート的な役割でしたが…。ただ、このときの経験がのちのち活きてきます。

研修後の仕事では、担当製品の日々の生産進捗・出荷管理をメインに、生産計画策定、新製品の生産準備、不具合品発生時の対応など、本当に、本当に忙しい日々でした。またステップアップとして、海外からの部品調達も担当することに。

毎日、工場内を走り回ってたよね。

会社として、トヨタ生産方式(かんばん生産方式やJIT生産方式ともいう)を導入していましたので、担当製品の「かんばん」の管理もしていました。

仕事も評価され、まさにこれから、というところでしたが、ここで体に不調を感じ始めました。しばらく帰宅が深夜になる日々が続き、ある日の朝、起き上がれなくなり、非常に恐怖を覚えたのを今でも覚えています。

すぐに病院を受診して、医師から数ヵ月の休養を勧められました。

それから約1年半の休職を経て、退職。その結論に至るまで、かなりの葛藤がありましたが、実家のある埼玉に戻ることにしました。

わぁ…本当に頑張ったんだね…休むことは必要だよー

その後

埼玉に戻ってからは、自動車部品メーカー(東証一部上場企業)で総務の仕事、またIT系専門商社で人事採用の仕事を経験しました。

仕事自体はどれも楽しかったのですが、やはり心身の不調で退職することに。

それからは腰を据えて、心身の治療を続けながら、無理なく仕事を探すようになりました。

そうそう、体が一番大事だからね。

ひろりんはいまどんなことをしているの?

仕事をしていない間は、SNSで日々の出来事や思い、また好きな勉強のことを発信していました。

しばらく発信し続けていたところ、資格の学校(簿記の教室メイプル)から声をかけていただき、その資格講座のお手伝いをさせていただくことになりました。もう数年になりますが、現在も継続しています。

長く続いてて、ぼくも嬉しいよ!

一番良いのは、在宅で仕事ができること。

コロナ流行の影響で、テレワークが普及してきましたが、このテレワークの流れはわたしにとって非常にありがたい流れです。関東に住んでいるため、仕事で都心に行くには毎朝のラッシュ通勤を避けられません。

スーツを着て、ラッシュの電車に揺られていくことが、本当に苦手なのです…

ぼくも、牛ぎゅう詰めは苦手だな…

現在のテレワーク環境は、わたしの仕事のパフォーマンスを最大限に引き出してくれています。何か相談があれば、気軽にチャットできますし、何も不安は感じません。(もちろん、実際に会って打ち合わせすることもあります。)

具体的な仕事内容は講座システムの安定的な運営。

講座運営には何人もの講師やスタッフが関わっていますが、円滑なコミュニケーションを維持するには、システム環境の安定稼働が欠かせません。

そうそう、ぼくのまわりにもたくさんの人が関わってくれているよ!

どのようなツールを使うのか、またどのようなルールで運用していくのか。ツール自体も日々新しいツールが生まれていきますし、その時々で最適なツールは変化していきます。

また利用者にとって、迷いのない、直感的に操作できるツールである必要があります。新しいツールを導入したとして、その教育負担が大きければ、業務にも支障が出てきてしまいます。

難しいことはわかんないや。

講座の受講生にとって快適な勉強環境を用意するのは当然のことです。しかし、その前に、運営側に快適な仕事環境を用意しなければ、受講生にも満足なサービスを継続的に提供できないと、わたしは思っています。

現状のシステム・仕事環境に満足することなく、日々、より良い環境作り・仕組み作りをするのが、今のわたしのライフワークになっています。

ここのほかにもブログやってます。

ひとつ宣伝させていただきます。

このブログのほかにも、いくつかのブログを運営しています。

財務分析系の記事は人気あるから、ブログを分離したんだね!

ひろりんはガジェット系好きだよね!でもまだコンテンツはないから、これから期待しておくね。

noteも書いてるんだぁ。こっちは雑記だね。

そういえば、会計人コースWebにも2日間にわたって寄稿したんだよね!

今回はひろりんのこと、たくさん知れてぼくも嬉しかったよー

ひろりん

もーもー、聞いてくれてありがとね!